受験の情弱になっている
子供が中学生なので、親としてはそろそろ受験を意識している。
ただ、住んでる場所は地元ではないので高校の偏差値どころか名前も知らない。学区、受験方式、指導要領など、何もわからない。というか、受験も何も、どこも通らない成績なのでまずは塾選びだ。
ちょっとググったら公式情報は出てくるが、サービス利用者(=在校生、卒業生)のリアルな声なんてものは無い。仮にあったとしても、自らの学生時代を思い返すと言語化能力や客観的視点の観点で信用できなさそう、と感じてしまう。
となると進学状況が検討材料になってくるわけだが、そもそも現在の高校(ここでは普通科)のカリキュラムが現代にマッチしているかというと、どうなんだろう。最近、高校に通ってないからわからないのだけど、古典や漢語なんて、まだ教えてるのかな?
などと考えると、現在に追随する動きが遅そうな公立よりも、少子化で熾烈な競争にさらされている私立のほうが魅力的に思えてくる。私立のカリキュラムとか知らないから、これもただのバイアスなんだろうけど。
受験のその先は?
やりたいことが明確なら、偏差値低かろうが、高校に進学せずに就職するなど、選んだ道に進むのは問題ない。信じた道を進めと。
ただ、うちの子はのほほんと生きていきたいようだ。だから、なんとなく普通科を選び、なんとなく大学に入ることだろう。
それもいいかもしれない。
なぜなら、現代の変化の激しさを見ていると、スペシャリストであるよりもジェネラリストであることのほうが職業人としての生存競争で生き残れるように感るからだ。
だって、ITエンジニアの技術がchatGPTで代用されるなんて、誰が想像した?
スペシャリストとしての知見は無駄にはならないが、ただひたすら垂直にスキルを掘るよりも、ある程度の段階で浅く(でもそれなりに深く)広いスキルや教養を身につけることが求められるように感じる。
従来からI型人材・T型人材と言われてきたが、その意味合いがまったく変わっている。IでもTでも、深さより広さが必要になってきている。
となると、広さ=教養を身につけ、どんな仕事でも役立つポータブルスキルを磨ける環境に身を置き、伸ばしていく必要がある。
とここまで書いてきたが、これは完全に自分に対しての言葉でもある。スマホやAIにネイティブな若者と戦う時代なんだなーと、おじさんはひしひし感じている。
ただ、若者には日本のおじさんではなくて海外の同世代との戦いを意識してほしい。ハングリーさが桁違いだぞ、きっと。
まとめ
すごく話がそれた。
親が受験の情弱だと、その被害は子供が受けることになる。ネット、学校、塾などで話を聞いて、よさそうな進路を選ぶ必要がある。そうして、よくはないと感じている現在の学校教育の歯車になっていくのだろう・・